直島新美術館プレトーク第一弾
「個々の施設から美術館群へ:ベネッセアートサイト直島のこれまでとこれから」
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index
1. 「ベネッセアートサイト直島のこれまでとこれから」三木あき子
2. 「人間的なふれあいと環境との調和―現在と未来をつなぐベネッセアートサイト直島」逢坂恵理子
3. 「ベネッセアートサイト直島と安藤忠雄」倉方俊輔
4. 「発火点としての私」橋本麻里
5. ディスカッション―それぞれのトークを受けて
「人間的なふれあいと環境との調和―現在と未来をつなぐベネッセアートサイト直島」
逢坂恵理子
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三木さんのお話をふまえて、私は日本を中心として戦後に開館した現代美術館を軸に、現代美術がどのように浸透してきたか、それによって表現というものはどのように変わってきたかをお話ししたいと思います。
戦後の美術館の変遷を振り返ると、長岡現代美術館が60年代、池田20世紀美術館が70年代、原美術館が1979年の開館です。東京にあった原美術館は2021年に閉館し、現在は群馬県にある原美術館 ARCに活動の拠点を移しています。80年代、堤清二さんがスタートさせたセゾン現代美術館は、軽井沢にあります。私がかつて勤めていたICA名古屋は、民間のアートインスティテューションで現代美術だけを展示する場所でした。長岡現代美術館は銀行家の方、池田20世紀美術館は実業家、原美術館も原俊夫さんのコレクションを中心に展示していたので、現代美術専門の美術館というのは、日本では民間がスタートさせています。
1980年代、現代美術という言葉を美術館の館名に使う公立美術館が登場しました。その多くは大都市ではなく地方都市の美術館で、気鋭の建築家を登用したのが特徴です。広島市現代美術館が、公立美術館としては現代美術を標榜した最初の美術館で、黒川紀章さんの建築です。水戸芸術館は音楽、演劇、現代美術を紹介する総合文化施設で、美術に関しては現代美術に特化して、現代美術センターというタイトルを付けていました。100メートルのタワーが象徴的な建物の設計は磯崎新さんです。それから、東京にあるワタリウム、これは民間のギャルリー・ワタリという現代美術を積極的に紹介していたコマーシャルギャラリーが母体ですが、建築はイタリアの建築家であるマリオ・ボッタに依頼しました。丸亀市猪熊弦一郎現代美術館は谷口吉生さんによる設計です。1992年に開館した直島コンテンポラリーアートミュージアムは安藤忠雄さんの設計です。「現代美術」ではなく、英語表記の「コンテンポラリーアート」を館名につけたのは、直島が最初かもしれません。岡山にある奈義町現代美術館の開館が1994年。首都圏に現代美術に特化した東京都現代美術館が開館したのは1995年です。同じく1995年に開館した富山県の入善町にある下山芸術の森発電所美術館は、もともとは発電所だったところを美術館としています。そして、1999年、東京オペラシティアートギャラリーが開館しました。左から:広島市現代美術館(photo: SATOH PHOTO Kazunari Satoh)、水戸芸術館(撮影:田澤 純 写真提供:水戸芸術館)、The Getty Center Photo: Christopher Sprinkle © 2018 J. Paul Getty Trust 21世紀に入ると続々と美術館が開館しました。伊東豊雄さん設計のせんだいメディアテークは「現代美術」という言葉はついてはいませんが、美術と映像を中心としたさまざまな活動を行っています。六本木ヒルズという高層ビルの中にある森美術館は2003年にスタートしました。熊本市現代美術館も商業ビルの中にある公立美術館としては初めての美術館ではないかと思います。SANAA(妹島和世+西沢立衛)設計の金沢21世紀美術館は、現代美術とは入れていませんが、21世紀の同時代の美術を積極的に紹介しています。それから、青森には西沢立衛さん設計の十和田市現代美術館、弘前にれんが倉庫美術館ができました。田根剛さんが改装を担当した弘前れんが倉庫美術館は、元はアップルサイダーをつくる工場で、このように、美術館の建物を一からつくるのではなく、商業施設の中や既存の建物を改装して利用する美術館のスタイルがでてきました。
直島と共通するところがあると思われる海外の事例をいくつか挙げます。まず、デュッセルドルフの郊外にあるインゼル・ホンブロイヒ美術館です。インゼルは島という意味ですが、美術館が島にあるわけではなく、湿地帯に美術棟や研究棟が島のように点在していて、自然の中を歩いていくと、突然、建物が見えてきます。ジャンルや時代を超えたものと現代美術を組み合わせて展示しています。次はポール・ゲッティという実業家が建てたゲッティ・センターです。アメリカの美術館の場合、ほとんどが民間主導です。ポール・ゲッティの美術館は2つあり、ひとつはゲッティ・ヴィラ、1950年代に開設した美術館を発展させたものです。一方、ゲッティ・センターは、ロサンゼルスの小高い丘の上に建てられていて、研究棟や展示スペースといった多くの人たちが集える場を島のように点在させています。直島と比較するのは少し難しいかもしれませんが、ここも自然環境を考慮しています。自然環境とは言いつつ、つくり込んでいる自然です。庭を造るにあたり、現代美術家のロバート・アーウィンに依頼しました。ロバート・アーウィンというアーティストは、光を扱う作家であると同時に、意識的にその空間、その風景というものをインスタレーションする作家であるので、彼を起用したのはとても新しい試みだったと思います。
テート・モダンはイギリスの国立美術館のひとつで、現代美術の活動を中心に展開しています。21世紀に国がつくる美術館であるにもかかわらず、一からつくるのではなく、もとは発電所であった既存の建物を活用したのはダイナミックな発想で、それは、今までの美術館とは違うことをしようという意欲の表れだと思います。これはヘルツォーク・ド・ムーロンが設計に関わりました。ディア・ビーコンは、ディア・アート・ファウンデーションというアメリカの財団法人がつくった美術館で、現代美術を積極的に紹介する活動を行ってきました。ニューヨークの郊外にビーコンという街があり、もとはナビスコのパッケージを印刷する工場で、ディア・センターが集めた現代美術のコレクションを展示しています。ここもゲッティ・センターと同じく、庭づくりにロバート・アーウィンを起用しています。美術館の内部空間だけでなく、周囲の環境も意識しつつ場所をつくりだしているという事例です。左:Dia Beacon, Riggio Galleries, Beacon, New York. ©Dia Art Foundation, New York. Photo: Bill Jacobson Studio, New York. Courtesy Dia Art Foundation, New York、右:写真:齋藤圭吾 次に現代美術の普及についてお話しします。日本では、美術史的な文脈において現代美術という言葉は80年代になるまで一般化しませんでした。新しい美術のことを「モダンアート・近代美術」と言っていました。ですから、日本の場合、1952年、国立として最初につくられた美術館の名称は、東京国立近代美術館でした。それ以降は「近代」をつけている美術館が多かったと思います。80年代初頭、「コンテンポラリーアート」という英語の名称が、ようやく日本のメディアにも浸透するようになりました。「コンテンポラリー」は「同時代」という意味で、今、私たちが生きている時代を指します。今、私たちが生きている時代の美術ということであれば、多様な表現が存在していたとしても、同時代だからわからなくもないということになるかもしれません。
多くの人たちにとって、「美術」という言葉からイメージされるのは絵画や彫刻です。しかし、現代美術や現代アートという言葉を使うことによって、より表現の多様化が促されます。表現の拡張、多様化は、新しい時代に伴って発展してきました。今まであったものを乗り越えようとするアーティストのさまざまな試みが、美術の表現を多様化させてきました。以前ならば、美術と言えば視覚を刺激するもの、つまり、目で見るものが対象であることが多かったかもしれませんが、今や、五感を刺激する表現に変わってきています。視覚のみならず、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、それから第六感なども使うことが求められます。作品だけを見ればいいのではなく、空間や時間も鑑賞体験の対象になります。なぜならば、空間そのものが作品である場合もあり、作品に時間軸も導入されるようになったからです。そして、作品を展示する空間も、「ホワイトキューブ」と呼ばれる白い空間だけではなく、多様化していくことになります。
同時に、作品自体もアーティストが1人でオリジナルの作品をつくるのではなく、作品の制作過程に複数の人々の参加を促すもの、あるいは作品を鑑賞するときに、複数の人々が関わらないと鑑賞できない作品もでてきます。直島においてもそうですが、アートを鑑賞するだけではなく、作品を展示する施設に来られるようにアクセスを整備することによって、その地域の文化、産業、経済にまで大きく関わっていくような展開がみられるようになります。最後に、ベネッセアートサイト直島の挑戦とは何かということでまとめたいと思います。一言で言えば「直島のイメージを負から正に転じるアートの力」です。直島までのアクセスは大変です。電車、飛行機、船、徒歩、島に来ても車がなければ歩かなければなりません。いわば、不便とも言える状況を乗り越えてでも来たいと思わせる直島の魅力と心地よさを維持することは大切なことです。心地よさを維持するためには、それぞれのアート施設のサイズ感も重要だと思います。大きな美術館で100点以上の作品を見たらそれだけで疲れてしまい、次の場所に行きたいと思わないかもしれません。美術好きな人でも、2館回ると、疲れて3館目に行くのをためらう傾向にあるようです。
また、自然との調和性も直島の心地よさを支えているものです。一度見たら終わりではなく、四季の変化とともに作品の見え方や感じ方も変わってきますから何度でも訪れたいという気持ちになります。既存の建物の活用という点で、民家を活用していることは、生活している地域の人たちに親近感をもたらしています。
アーティストや建築家にとっても、直島がもつ環境とサイズ感は、今まで彼らが体験してきたこととは別の意欲を引き出すのではないかと思います。何かを調達するにも住民の方々の協力が必要になってくるので、住民の方々と関わる度合いが自ずと多くなります。
そして、環境のすばらしさは、ストレスフルな日本の現代社会において、私たちの人間性を回復させる場として機能するのではないかと思います。島の環境の質を維持するために、オーバーツーリズムにならないよう心地よい空間を意識することが大切です。ヒューマンスケールだからこその豊かさ、そして専門家による協働によって質の高い場を提供することで、訪れた方々がここでしか得られない思いがけないセレンディピティを経験することによって、自分自身の中に、今まで気づかなかった何かを見いだすことができる。そこには「コミュニティの構築と住民参加」が不可欠であり、私は、ベネッセアートサイト直島の活動がこの「コミュニティの構築と住民参加」とともに、未来に向けて、これからも継続していくことを期待します。
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逢坂恵理子Eriko Osaka
国際交流基金、ICA名古屋を経て、1994年より水戸芸術館現代美術センター主任学芸員、1997年より2006年まで同センター芸術監督。2007年より2009年1月まで森美術館アーティスティック・ディレクター。2009年4月より2020年3月まで横浜美術館館長。2019年10月より国立新美術館館長に就任。2021年7月より国立美術館理事長
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ベネッセアートサイト直島のキーパーソンの一人である建築家・安藤忠雄氏について、直島での活動に沿って語っていただきました。